むち打ち損傷


はじめに

 本疾患は諸説入り乱れた現状にあり、以下は整形外科臨床経験30年医師の個人的見解であります。異論・反論おありの方もいらっしゃいましょうが、ご提示下さっても論争するつもりは毛頭ございませんので悪しからず。

むちうちの病態
むちうちの診断書
むちうちの検査
むちうちの治療
低髄液圧症候群
その他(保険など)
latest update: 2006.02.10

  むち打ち損傷の病態について

 いわゆるむち打ち損傷の本態は頚椎の過伸展や過屈曲または捻転による頚椎捻挫で、一度に複数の椎間板や椎間関節に損傷が発生します。これがまた実に多彩な症状を呈するのでやっかいです。軽症なら、首〜後頭部〜肩甲部の違和感〜凝り〜軽度の痛み程度で済みますが、中等症ではそれぞれの痛みが強く持続し、集中力が続かない、いらいら憂鬱感のために表情が変わり、手足に神経症状(しびれ、脱力など)があって仕事や家庭生活に支障を来し、重症の場合は手足の麻痺症状(こうなればむち打ち損傷というより頚椎損傷〜頚髄損傷)を来したり、慢性的な疲労症状で社会生活を送れない場合があります。つまり、受傷機転はむち打ちでも、状態によって「頚椎捻挫」「頚椎損傷」「頚髄損傷」「外傷性頚部症候群」「バレーリュー症候群」と診断名は様々です。さらに最近では「低髄液圧症候群」または「脳脊髄液減少症」の診断名も認知されつつあります。
上に戻る

むち打ち損傷の診断書について

 当初から頚椎の骨折や手足の麻痺が明らかな場合を除いて、「頚椎捻挫」の診断が下される場合が多いのですが、治癒時期を推測するのは極めて困難です。交通事故の場合は警察に診断書を提出しますが、例えば「全治1週間」とは事故処理、処分のための便宜的診断書であり、実際の治療が数ヶ月かかってもやむを得ません。医師が事故当事者の責任割合を知る立場にない以上、被害者が理不尽に思われても徒に長期の診断書は書けません。
 患者さんにお願いしたいことは、受傷早期に受診して下さることです。何日も経って受診された場合、例えば1月1日に事故を起こして、症状があったのに様子を見ていた。痛みがなかなか治らず、会社を休まざるを得ないので会社に言われて1月10日に初めて受診した。この時、医師が発行するのは、「初診から全治○○日または治療見込み」と言う診断書です。1月1日受傷であっても医師に真偽のほどは判りませんし、診てもいない状態を診断することは禁じられています。そこで、「全治1週間」と書いた場合、警察の方では受傷後10日を加算して全治17日と判断する場合があり、重症扱いになってしまい、警察も事故処理に困ります。当初の症状が軽くても早めに受診して下さい。
 なお、保険会社からの保障は実際の治療期間に応じて為されるはずであり、警察提出の診断書とは別次元と考えるべきです。また長期療養が必要な事態になったとき、保険会社としては長期支払いに困惑する場合も考えられます。治療期間延長ご希望の方には、必要な診察と検査をお勧めします。その結果、継続が必要であると医師が判断すれば、その様に保険会社に伝えることもやぶさかでありません。ただし、やむを得ない場合は適当な時期に後遺症診断書を発行して加害者側(保険会社)と示談するしかない場合があります。
上に戻る

むち打ち損傷の検査について

 軽症のむち打ち損傷ではレントゲンやMRIで異常が検出できないことも少なくありません。レントゲン検査でよく見る所見は、頚椎カーブの異常、椎間板レベルでの多少のズレ、椎間板狭小化ですがこれらの所見が受傷前からあったかどうかは判断不能です。特に椎間板狭小化に骨棘を認める場合は以前から頚椎症があったことになります。つまり、椎間板の変性は早い人で10代に始まり、40代では2カ所以上に異常が見つかるものです。スポーツの種類によっては進行が早い。ただそれに気付かず、特に症状がなかったか、単なる肩こりくらいにしか思っていなかった事も珍しくない。事故によって突然骨棘は発生しません。ただ事故によってそれまで気付かなかった症状が表面化したと解釈すべきです。
 受傷当初にレントゲンやMRIで異常が見つからない場合でも、長期療養が必要な場合に半年後に再検査すると、レントゲンで椎間板の狭小化やMRIで椎間板変性所見が明らかになることがあります。当初検出できなかった所見なのですから、事故によって発生した可能性が高くなります。なかなか治らない場合に周囲を納得させる一手段となるでしょう。
上に戻る

むち打ち損傷の治療について

 むち打ち損傷の治療は症状に応じて行い、時期により多少の変更があります。受傷直後は大した痛みでなくても、翌日には起きられない場合があります。これは足首の捻挫でも経験することです。スポーツ中に捻挫しても、その場はテーピングで切り抜け、帰宅して飲酒入浴後に腫れ上がって夜中に受診する事も珍しくありません。これは、内出血と腫れが徐々に拡大するからで、頚椎の関節でもこれと同様のことが起こります。
 したがって、受傷初期は足首捻挫でギプスするように、必要に応じて頚椎カラーなどを装着して安静を守る必要があります。無理な運動・作業や熱い風呂は避けて下さい。鎮痛剤や鎮静剤が必要な場合もありますが、初期はいわゆるリハビリまたは物療(電気治療や牽引)は行いません。よく、早く治したいのに「何もしてくれない」と言う訴えを聞くことがあります。もし初期に牽引でもしたらかえって痛くなります。皆さんも、足首の捻挫で当日からマッサージをしたらどうなるかご存じでしょう?医師がケースバイケースで適当と判断したときに開始します。
 やや落ち着いたら、亜急性期には痛みやだるさを軽減するために物療(電気治療や牽引)を開始します。一般には電気治療が先になります。投薬は希望により必要期間続けます。
 慢性期には物療が主となりますが、長引く場合には定期的な診察を受けて下さい。検査をお勧めする場合もあります。
上に戻る

「低髄液圧症候群」または「脳脊髄液減少症」について

 これまで、むち打ち損傷後に長期間精神神経症状が持続して社会復帰の妨げとなる症例に対して、「外傷性頚部症候群」、「頚椎捻挫後遺症」、「バレーリュー症候群」などの病名が使われてきました。手足のしびれのみならず、天候不良と連動する頭痛、慢性疲労、うつ状態から、「うつ病」の診断を頂くこともありました。近年、「低髄液圧症候群」または「脳脊髄液減少症」の存在が提唱され、診断される症例が増えてきました。しかし、本病名は整形外科学会や脳神経外科学会でも正式に認知されていません。さきごろ裁判で認定された症例がありましたが、保険会社もなお慎重です。それにはいくつか理由があります。私見をまじえておりますことはご了承下さい。
1)頚椎の捻挫であるはずが、腰椎レベルでの髄液漏出所見に対する明確な因果関係の証明がない。MRIや脊髄シンチグラムで髄液の漏出所見とされる部位は頚椎より腰椎部に多い。これに関して私がかつて20年前に某病院で脊髄くも膜下シンチグラムを何例か(むち打ち損傷患者ではない)に行った経験がありますが、ほぼ全例に腰椎部神経根嚢からの漏出を見ており、これは本来正常所見ではないかと疑っております。
2)髄液圧低下により脳の位置が下がると言うが、座位や立位でのMRI検査は現在不可能で、確たる証明が出来ていない。
3)治療として行われているブラッドパッチの有効性を一概に否定はしないが、感染や癒着の可能性が危惧されるなど安全性が確立されておらず、将来に亘って普及する手段かどうか疑わしい。かつて全脊髄麻酔がむち打ち損傷に実行されたことがある。施行直後は一様に「もう治ったみたいだ」との感想が得られたが、人工呼吸と厳重な管理が必要な「危険な」手技であり、いまや実行する医師はほとんどいないはず。ブラッドパッチが硬膜外であるので一緒に論じることは出来ないが、脊髄硬膜外癒着症も癒着性くも膜炎同様に難治で、やっかいな病態に変わりない。将来問題が起きないかと危惧している。
4)以上の疑念・安全性に対する不安が払拭されない限り、少なくも私はブラッドパッチ療法を行いません。強いご希望がある場合は、ご紹介申し上げますが、県内医療機関はどこも対応しておらず、最も近いのは福山市でしょう。ただし紹介責任はご勘弁願いたい。
*)なお、情報社会の今日、インターネットで情報を取得し、患者さん自ら病名を決め込んで「低髄液圧症候群」または「脳脊髄液減少症」の診断を求めて来院し、意に添わなければ罵倒さえして去る方も時折見受けられ、遺憾なことであります。その分、特定の医療機関に患者さんが集中し、その某医療機関医師も「明らかに鬱病なんだけど、精神科病名を付けると嫌いますんでね」と困惑する事態もあります。症状は個々人によって千差万別です。隣の人と同じ症状でも実は別の疾患で有ることは少なくありません。付け焼き刃のネット学習より長年の勉学と経験の方が勝るというのは当然でしょう。
上に戻る

その他

保険について

 交通事故によるむち打ち損傷は、原則として自動車賠償保険を使うべきです。保険会社によっては健康保険を勧めることがありますが、それは会社の利害関係によるものであり、本来あるべき姿ではありません。特定個人の事故責任を国民全体に押しつけるものでしかありません。やむなく健康保険をご使用になる場合は、原則として個人負担分をお支払い下さい。
 上に戻る


上に戻る   解説に戻る   ホーム